起業塾[トップ] > 起業ニュース・報告書[トップ] > 平成19年度 開催報告
トップへ戻る
◇◇◇ 平成19年度 第4回「起業塾」の報告 ◇◇◇

〜 企業経営者の事業経験・経営哲学等の紹介 〜
共同研究イノベーションセンター
産学官連携コーディネーター 塚 田 光 芳

 平成16年度が起業塾を始めた年ですから、今回が4回目の開催になります。この第4回起業塾も参加者の希望・要請を採り入れ、地元の企業経営者等の経営哲学や経験に基づいた講義、及び地元経済研究所・政府系金融機関の方々に講師依頼をしました。
 地元の企業経営者の方々の講演では、自己の目標を実現するための努力や、人生を切り開いて行った過程に受講生が触れ、それを起業等のエネルギーにして貰うことを期待しています。
 今回は共同研究イノベーションセンターを開催場所とし、11月から1月まで、月に1回のペースで計3日間の講義を行いました。
 初日には共同研究イノベーションセンターの白井センター長から、「今回は3日間の講義であり、興味を覚える話、ためになる話、実用的な話等がありますが是非起業のきっかけを作って下さい」との開催の挨拶があり、また須齋教授から「受講者の皆さんに会社を起こして欲しいと思います。学生さんは社会に出てから役立てるように、全ての講義の参加を全うして下さい」との挨拶がありました。
 今回の参加された51名の内訳は、女性が4名、男性が47名(学生21名)で、出席状況は、初日は31名、2日目は33名、3日目は17名で、3日間の講義を全て受講された方は10名でした。
 第一日の2時限目の講演では、桐生ガス株式会社の塚越代表取締役社長が、「公共事業の役割」と題して、日本のガス利用の歴史についてお話をされ、第二日の1時限目にはハルナビバレッジ株式会社の青木代表取締役会長・CEOが、「循環の経営を考える」と題してお話をされました。
 以下にお二人の講師の講演の概要を述べさせて頂きます。

桐生ガス 塚越代表取締役社長
【塚越代表取締役社長の講演概要】
 ガス利用は、18世紀中ごろに英国において、ガスが“非常な光を放つ”ものとして、照明として利用されたことが始まりで、日本では、島津斉彬が始めてガス灯を明かりとして利用した。斉彬の年代であるから19世紀半ばに日本にガス灯が灯ったのが最初になる。その後、横浜、次いで東京においてガス事業が国策事業として始まり、東京では京橋から金杉橋間にガス灯が80灯程度設置され、その事業主体が現在の東京ガス株式会社に移管された。
 明かりとして利用されてきたガスに対して、電気 〜 エジソン電球の発明 〜 が19世紀後半に出現し、電灯会社が設立されるに至った。ガスは燭光としては低かったが熱量が高かったので、この時代にガスは熱源へ、電気は電灯へと利用がシフトしていくことになった。
 太平洋戦争当時は、ガスの原料炭(当時は、石炭を蒸し焼きにしてガスを生産)が軍需産業に回されたため、民需利用は大きく制限を受け、ガスの燃口を半分から三分の一に規制されるなど、需要制限の規制が厳しさを増していった。
当時、既に桐生ガスは設立されており、全国のガス会社は百社を超えていた。軍政府による地方のガス会社の地域統合が始まり、県庁所在地等の中核都市にあったガス会社が地域毎に集約され(例えば高崎ガス、前橋ガスが合併して関東ガスになる)、その後、宇都宮、日立、長野、甲府等の関東地域は東京ガスに、同様に大阪地域は大阪ガスに吸収合併されていったと言う歴史を辿ってきた。
 この統合は戦争の影響でなされたのであるが、終戦により桐生ガス等の東京ガスへの合併は廃案となり、桐生ガスの併合は行なわれず今日に至っている。
 現在、新潟と東京間にパイプラインが伸びているが、これは昭和三十六、七年にできたもので、東京ガスが国内産天然ガスを東京地区で使う計画であった。しかし、ガス埋蔵量が予想よりはるかに少なく、結果として東京ガスはこの天然ガスの導入をあきらめ、現在と同じLNGを輸入して使うことになった。パイプラインが近くを通るので桐生にも回して欲しかったが、当初は埋蔵量が少ないという理由でそれは叶わなかった。
 しかし、新潟の帝国石油より供給を受けていた企業が燃料をガスから石油に転換したことにより、天然ガス量に余裕が生まれ、両毛ガス事業協同組合(桐生、伊勢崎、館林、足利、佐野のガス会社)は本庄からパイプラインを分岐して約80Kmのパイプラインを敷設した。従って、桐生、伊勢崎、館林、足利、佐野地域の住民は現在までこの新潟産の天然ガスを使っていることになる。
 原油価格と共に随伴ガスである天然ガス、プロパンガス等が高騰して物価上昇の原因になっているが、国内天然ガスは物価上昇に影響されることなく、安定した供給価格と量を確保し、地元住民や事業所から高い評価を受けている。
 最後に塚越社長から、この事業を通じていくつかのポイントを指摘して戴きました。「仕事をしていくあらゆる場面で問題が起こる。それをどのように解決して行くか考えることである。それも一企業内で考えないで、業界や異業種で考える。例えば、お話した“規模のメリット”の出る両毛ガス事業協同組合というような、集合体で考えて見ることも重要である。それに加えて、起業するときに、社会的ニーズや必要性、又その時代が求めるものがあるので、その感性を養うことも大切である。」と言うご意見です。
 受講者はこの東毛地域に在住する方々が殆どであり、普段、何気なく使用しているガスが、新潟から本庄経由のパイプラインでもたらされている天然のガスという新たな発見をしたことと思います。

ハルナビバレッジ株式会社 青木代表取締
【青木代表取締役会長・CEOの講演概要】
 ハルナビバレッジ株式会社は平成20年2月で創業して12年目になる。現在の会社は分社を行なうことにより8社になっている。最も新しい会社は、平成19年の10月にEUの現地企業と共同出資して生まれたハルナヨーロッパ SAである。創業10年で売上高を100億円以上のハルナビバレッジ鰍育て上げ、グループ全体では200億円を目指している成長企業である。
 青木会長は、群馬に来てちょうど13年目になりますが、創業前にこの地を訪れて、原料に使う水がその量・水質といい非常に良いという判断をされた。事業の候補地として山梨や静岡も考えたが、今振り返ってみると、如何に水を汲み、物流して顧客に提供するかという面からも、魅力のある場所で、その時の判断として正しい選択をしたと強く思っているそうです。
 また会長は、会社を設立する時のその時代背景を考えたそうです。平成8年は金融の世界がおかしくなり、大企業は海外生産に走り、社会はデフレにより経済が閉塞するという深刻な状況であったので、会社設立は非常に難しい年であった筈です。
 それゆえに、何故こんな時代に創業するのか、もう少し考えた方がよいのではないか、と言う多数の意見があったが、自分がやりたい事をやる、その時間軸を延ばしたくなかった。仕事をする以上は、顧客に対して自分の仕事を明確にしない限りにおいては一歩も前に進まないと思ったそうです。まず自分の状況をよく理解しなければいけないということで、どういう顧客に対して、どんな形で、どんな目的を持って良い関係を作っていくか、このことを会長自身が最初に取り組んだ懸案であったそうです。
 会長は製造業の御経験がなく、それまで貿易会社の活動で得た飲料等に接する機会があっただけで、いつかはものづくりに携わってみたいという気持ちはかねてから持っていたそうです。ちょうど年齢は60歳を超えていたため、創業の時間軸の延長はしたくなかったそうです。延長するほうがリスクは確かに少なかったと思ったが、いろいろな計算が出来るし、今までの過去の延長線上で様々な絵が描けたと思うが、自分の仕事としてはどうしても延長は考えられなかったと堅い意思が伺えました。
 自分の仕事としてはどうしても延長は考えられなかったとの堅い意思が伺えました。
 会長が事業を行うに当たって考えた4つの経営理念がある。これは正に顧客志向を柱にしたもので、顧客に如何に満足して頂くか。ここに焦点を当てて会社の理念を作り、そして将来を考えて行ったそうです。創業から12年経過した今日までにはいろいろなリスク、重大な意思決定の場面があったそうだが、今日まで操業して来られたのは、この経営理念を貫き通したからであると言うように、会長自身の人生観等が今日のハルナビバレッジの姿を象徴しているといえます。
 平成8年に第一工場を操業し、続けて2年目に第二工場を作った。2年間で20億円の投資をしたことになるが、その融資のみなもとは、一部上場の取引先を顧客とする顧客づくりにあった。4社程の大手と交渉を行い、お客づくりを先行させ、工場が出来たならばこういう製品を提供します、というようにプレゼンテーションを明確にしてビジネスを進めていったことです。会長の事業ポリシーはこのように、投資を行う時には、その基となる事業の中身を顧客に明確にして、顧客に事業を好きになって頂くと言う形を採ってきたことが、現在もその姿は変わっていない。
 創業当初は二十数名であったが、工場を増設する中で社員が増えてくると、「社員教育を会社の成長に伴って進めることに困難が出てきた」という課題に突き当たった。そこで、全国から集めた5人の専門家を、製造部長、品質管理部長を始めそれぞれの部門の柱に据え、このようなスピードで成長していく企業を支えてきた。
 現在は8社からグループが構成されているが、会長は経営理念がこの成長の期間を通して大きなバックボーンとなって働き、今日をむかえることが出来たと言うように、ゆるぎのない経営理念を貫徹することが経営者に求められていること、また、経営は長期的な思考を持ち、それによって始めて事業場面を変化させていくことが可能になるのであって、経営者にとっては長期的思考を大事にしていくことが必須であることを強調された。
 企業を永続させるためには、顧客が何を望んでいるかに焦点を当てて顧客を引寄せ、それに応えるだけの力を企業が積み上げていく必要があり、そのためには一人ひとりが製造力、営業力なりその部門のレベルを上げていくほかに手段はないと考えたそうです。そのレベルアップのために、平成17年にビジネススクールを開講している。有識者や社内のトップクラスの人々を講師にむかえ、毎週月曜日の夜に社員の育成教育を行ってきたが、それが社員一人ひとりの潜在的なノウハウとなり、様々なものを本物にしていく能力となって現れてきている。
 経営を透明にし、明確な目的のもとに自分たちのビジョンの実現をどのように図るかを全社的な認識として共有するため、全部門による執行会議を行ない、一週間の出来事の報告と、全員で対策を決するという一週間経営を行なっている。4回の一週間経営が1カ月の結果を出す。それを3回重ねて四半期の結果が、更に3回重ねて決算をむかえることができる。「一週間経営を行なうと必ず翌週の課題が顕在化することから、一番の基本を一週間経営においている」のであり、企業の向かう道としてこの一週間経営を大事にしていくことを考えています。
 会長は60歳の時に、キャリアの総仕上げとして清涼飲料企業の創業を目指しました。そして年々売り上げを伸ばし、現在は創業時の売上高1億円の企業を100億円以上の優良企業に育て上げました。近年中にハルナグループ全体で200億円を超える事業規模にするために努力をしている。
 ここに叙述した内容だけでは会長が講演された企業の成長の道を十分にお伝えすることができません。しかし、ハルナグループの成長の過程は、会長自身の心の奥底から湧きでる、人生観、思想、ロマン等を集大成した顧客思考によって拓かれた道となり、この先もその道は真っ直ぐに続いていくことと思います。
Copyright (C) , Business Incubation Work Gunma University. All Rights Reserved.